生まれた街で〜色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(ネタバレ

暑い暑い名古屋の、蚊が大量生息していて嫌になる実家にいまーす。オットは今日で南米に戻りまーす。そんなわけで今日は、日本から取り寄せて読んでその後もずっとモヤモヤしていたハルキ本新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について。以下、ネタバレありです。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

一昔前のウィンドウズ、近年のiphone、もしくはドラクエ、あるいはエヴァ映画かボジョレー・ヌーボーのようにもてはやされているハルキ本の舞台が、生まれ育った名古屋とは…ということで、関心を持ってみた今作。ハルキさんの暗喩やなんかに一番のめりこんだのは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ小学生の頃なので(今にして思うと、ませた子供だったなあ。もうあの頃の年齢の子供がいてもおかしくない年になっている…と思うと、すごくかわいくない子供だ)今さら興味はないけれど、とりあえず読みました。読みやすかったなあ。これくらいを小学校の頃に読みたかった。たとえホモや不倫やレイプが横行していたとしてもね!


でもって、「ある地方都市」ではなく何で「名古屋」だったのかという事が何となく引っかかっていたのですが、ひさしぶりに名古屋の街を歩いたり、古い友達に会ったりして何となくつかめてきたような気がしなくもないので、記録しておきます。

ハルキ氏の大好きな、そしてこの本でもキーワードになっている「完璧に調和した、閉じたサークル」は、確かに愛知県(名古屋とは敢えて断定しません)ではけっこういい感じで実現している。女子で言えば、「トヨタ系の会社に勤務する父親のもとに生まれ、大学はSSKに行き、トヨタ系の会社に一般職で入社し、同期か職場の先輩と入社3年くらいで結婚し、マイホームを入手し、子どもを産んで30才前には職場復帰し…(以下繰り返し)」なんてその典型。このハルキ本にもレクサスのセールスマンがちゃんと出てきて(まあ、セールスマンはメーカー勤務に比べればずっと浮き沈みがあると思いつつ、それは枝葉末節というものよね。逆に成績が良ければ、それこそ、この登場人物みたいにバブリーなのかもしれないし)、ハルキさんがどこまでそれを理解して名古屋を選んだのかはよくわからないけれどそれはグッドチョイスだと思う。農家の集落でのスローライフに皆が満足して…というよりは、ずっと特殊性もないし、本来はわざわざそこの拘る必要もないわけだからね。名古屋の売りは“モノにもカネにも困らない、便利な状況”なわけだから。


でもってここからが本格的ネタバレ。個人的には、何で主人公の多崎つくるに「身内レイプ疑惑」が発覚したときにグループの皆が一気に離れて行ったのか…という部分が、この小説で最も重要、かつ不自然な部分なのではないかと思う。だってメンバーでも、被害者ではないほうの女の子は仕方ないとして、あと2人いる男のうちのひとりくらいは、「お前、本当に××にそんな事したのか!?」とこっそり突っ込んであげてもいいよね、だって仲良しグループだったわけだから。「なぜ、5人グループの当事者を除いた他3人が、一方的に被害者側についたのか」。いちおう作中で3人はその理由を弁解するんだけど、客観的には非常にスッキリしない。非常にスッキリしないのだけど、それでいて何となく腑に落ちたのは、私自身が「大学進学で名古屋を出て、Uターンで愛知県の会社に就職し、ふたたび結婚で名古屋を出て、今は海外にいる」という何だかこの本の登場人物の誰かと誰かを合わせたようなルートで名古屋から出たり入ったりしているせいだと思う。
つまり、「皆が名古屋に残る中、ひとり東京の大学に進んだ時点で、多崎つくるは彼らの理解を越えた」のだ。私の場合は、通っていた高校が(少なくとも当時の)名古屋では人気のあった大学の附属校で、にもかかわらず外部受験をする生徒がすごく多い…という環境だったから、「名古屋を出る」という選択肢はそんなに突飛ではなかったけれど、いわゆる学区のトップではない公立高校ではこの本の登場人物たちのように「本当は慶應にも入れたはずなのに名古屋の私大に行った」みたいな子がマジョリティだったって聞くし。実際、私も、母親(SSKの一角を卒業)には何度でも「附属の大学でいいじゃない」「AかB以外(←いわゆる私立大学の最高峰みたいな名前。最終的には学部を選ばなければ受かっていたけど、外部受験を申し出た時点ではありえない学校)の大学だったらわざわざ東京に出る必要なし」と言われたものだ。…だから高2までの時点では理数系の定期考査の点が悪すぎて附属の大学の推薦が取れる順位にいなかったとあれほど!!!(涙)
閑話休題。多崎つくるはそんなわけで、パッと見は休みごとに帰省してくるし、今までと変わらないように見えるけれど、何しろ一度はその3人の「理解を越えた」人なのだ。だから、身内レイプなんて言う「理解を越えた」ひどい行動に出ても、おかしくはない。そして、どちらにしても街全体の規模に対して地縁が強い名古屋/愛知県という街で、「すでにこの街を出てしまった」多崎よりは、今もなお同じ街で生活している他の4人の方が身近だし、守り合うメリットもある…と彼らは無意識下で判断していたのだと思う。


…そう見ていくと、名古屋である必要はあったのかなかったのか。面白いのはその後の展開なんだけど、女性キャラふたりはその後、何はともあれ名古屋を出ちゃってるんだよなあ。恐らくは多崎つくるを無条件にはじき出してまで守りたかったものも、いとも簡単に崩れている…そういう皮肉さも感じました。自分の考え過ぎかもしれないけど。


結論としては、そんな名古屋に帰る度に遊んでくれる、もしくはこちらが連絡すれば快く応じてくれるこちらの皆様、いつも本当にありがとう。この後どこに行くかもよくわからない最近の私ですが、これからもよろしくお願いします。