アタリマエの日常、アタリマエの未来

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高校生のころ、小学生の同級生の訃報を新聞で知った。交通事故だったから新聞の超ローカル版にひっそり載っていてビックリした。私は中学校から私立に出てしまっていたので通夜・葬儀等の案内は来ず、あとで親交が続いていた友達からそのときの話を少しだけ聞いた。小学生のころの彼の顔だけが思い浮かんだ。
社会人一年目のとき、同期が死んだ。ほんの数ヶ月前、全体研修の打ち上げのときの楽しそうな様子しか思い出せなかった。東京の彼の実家で行われた葬儀には同期の中から特に仲がよかった代表者数名が出席することにし、私自身は独身寮ロビーに設置された献花台に行った。いろいろなことが、いろいろ信じられなかった。なんて寂しいんだろう、と思った。呆然としていた。
社会人四年目のとき、同じ部署のベテラン社員が突然世を去った。つい10日ほど前まで元気に海外出張に行っていて、帰国後にも同じフロアで姿を見かけたような気がする。彼に用事があってデスクに行って隣の席の子から体調を崩して休んでいると聞いた翌日の訃報だった。同僚何人かで通夜に行って、かなり前に異動した先輩とかと顔を合わせて、全員が呆然と泣きながらひさしぶりの再会に少し喜ぶという異常なテンションの同窓会モードになった記憶がある。死因は覚えていないが、とにかく急性のよくある病気。もしかしたら心筋梗塞だったかもしれない。


松田直樹というサッカー選手と直接のかかわりはない。私自身、横浜F・マリノスのサポーターだったわけでも松本山雅FCのサポーターだったわけでもない。でも私は今、あの時やあの時と同じくらい、もしくはそれ以上に驚いているし、いろいろなことがいろいろ信じられないし、寂しくて、こうしていても涙が出てくる。


「あーーーウチらってバカだねえホント」とオットとレンタカーまで借りて横浜から行ったあのときのゴールが彼自身の生涯最後のゴールになってしまった(松田はDFだけど年に何回かは得点、それも印象に残るゴールを決める選手だ)。そうまでして行ったなんて、何か嫌な予感でもあったのか? ううん、そんなことない。私たちは信じていた、むしろアタリマエだと思っていた、これからもサッカーの世界に、時に熱く時にトホホな話題を提供してくれる松田直樹という存在を。


アタリマエの日常、アタリマエの未来、そんなものはどこにもないんだ。だから私たちは、今そこにあるもの、今そこで手に入るものを感謝して享受しなければいけない。…だって去年の今頃私たちは、たった1年後に松田がこの世からいなくなるのはおろか横浜からいなくなることすら想像していなかった。私自身が(家まで買った)横浜にたった一年後住んでいないことも想像していなかった。アタリマエなんてそんなに儚い、寂しいものなんだ。



ちなみにクラブが携帯用AEDを常備していれば救命率が上がったに違いない…とメディアで叫ばれているようですが、実際にAEDの講習を受けたことがある人間として、そこまで過信・断言できるものなのかな、と思います。あれ、あくまでも医療関係者じゃない人がたくさん集まる場所でのアクシデントを想定して配備されるものだったはず。後から到着した救急隊のAED使用だってあくまでも決められた手順のひとつのように思うのだけど…。その時はたまたま看護師さんのサポさんがいて、トレーナーさんと交代で心臓マッサージしたみたいだし。だからこそ倒れてから丸2日間生きていられたと言えるかもしれないし、今回はまだラッキーな部分もあったけど今後はJFLクラブもスポーツ施設全般もAEDを置いておこうね、とりあえず万能ではないけど一定の症例には効果があるから、という話で、もういいのではないかと思います。たぶん本質はそっちじゃない。もちろん、去年のマリノスの解雇の話も別(あの切り方は今でも疑問だけれど)。魂を売ったと言われたマリノスは、今首位を走っている。週末は2位の柏とアウェー戦。松本も今週末は首位のSAGAWA(佐川急便)ホーム戦とJ2昇格を考えれば負けられないところ。そういえば日韓“定期”戦とは言えひさしぶりに日本代表メンバーも発表された。サッカーは続く。


そう言えばあの本もあのDVDも、船便に載せちゃったよ。

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

…寂しいよ。何で、よりによってマツじゃなきゃいけないの。