おとめ、開眼 〜ひそやかな感情

いちおう書き残しておいたほうがいいのかなという気がするので、ほとぼりがいちばん冷めているであろう今(記者発表から次の公演までの間にあたる日程)、こっそり書いておこうかと思います。
それは現・宝塚歌劇団宙組トップスター・凰稀かなめさんが宝塚を辞めることを発表した件です。


2012年5月にはじめてナマの宝塚の舞台を観た私にとって、凰稀さんは初めての「私が宝塚を観るようになってからトップスターに就任し、そして辞めていく、実際にその舞台を観たことがある人」です(その間に雪組壮一帆さんも就任して辞めることになりますが、海外在住・かつ一時帰国時の生活拠点が名古屋なこともあってなかなかタイミングが合わず、残念ながらナマ観劇はかなわなかった)。だから、「そうか、わたしも宝塚ファンになってからけっこうな時間が経ったのだな」という気が勝手にしています。


…実はけっこう最初から、現役のタカラジェンヌの中ではいちばん気になってた人だったんだけどね。何しろ全身トータルとして美人すぎる。ありえないコスプレがハマりすぎる。ヅカメイクやコスプレメイクをしなくても富岡佳子さんふうでじゅうぶんキレイだし。『風と共に去りぬ』で初めてナマ観劇してからは、期待していなかっただけにすごく面白かったので(脚本や演出の古臭さに対して、演じている役者の熱演ぶりに心打たれてしまった)、役者としても好きになっていた。今にして思えば、『銀河英雄伝説』の時とか日本にいたし、原作も昔読んだきりだけど読破しているし、ムリにでも東京や大阪で予定作って観に行けばよかったなあ。ちょっと後悔しています。

諸般の事情から20年前に「宝塚は観ない、ましてや“ご贔屓”なんて死んでも作らない」と固く心に誓った関係上、こっそり湧き出ていたひそやかな感情を抑えたままここまで来たような気が、正直しています。わたしが彼女の事を「ご贔屓」と呼ぶことは一生ないでしょうし、でもきっと宝塚を辞めてからの彼女の動向は気になって、あるいは出演する舞台の一つもあれば観に行くかもしれません。



しかしそんな自分よりも、こっそり相当好きになっちゃってたっぽいのがうちの母です。今年2月の宙組中日劇場公演でひそかにハマってたくさいです。
そりゃ、ハマってなきゃ1回観に行ったあとでもう1回チケット買い増しして観に行くなんてしませんよね。


「ねえ、せっかく憶えて愛着が出てきた頃には辞めちゃうのよねえ…淋しいわねえ…」
「トップになったら辞めなきゃいけない、それこそが宝塚の美学だって、ママ言ってたじゃない」
素気なく突き放しました。そこで一気にウェットな雰囲気に突入するのは、宝塚とは関係なく、私自身の美意識に合いません。



去る5月、“100周年・ゴールデンウィーク・ベルばら”という何とも晴れがましい条件が出そろう中、私に誘われるがままにお祭り気分に乗って凰稀さん主演作『ベルサイユのばら・オスカル編』を観に名古屋から宝塚観劇バスツアー(阪急交通社主催)に参加してしまった母ですが、基本的には「トシだし年金生活者でお金もないし、もう遠征はしない」というスタンスです。しかしその母がカード会社の宝塚先行予約チラシを見ながら「ええっとでも、ショーもあるしきれいはきれいだと思うのよね。 観にいってもいいかなあ。…最後だし」などと、聞こえよがしに言っています。要するに観たいって事ですよね。もちろん申し込みしておいてあげましたとも。取れるか取れないかはわかりませんが、娘としてはどのような形であれ、悔いのない人生、送らせてあげたいですからね。



えっとね、でもね、実は私、お客さんというか関係者として客席に座ってる凰稀さんと偶然近い席になったことがあって。キレイな人だというのはわかりきっていたけれど、実物はいやあ、アタマ小ちゃくて顔も思ったよりほわっとした感じで可愛いのなんの。思ってたよりすげえ可愛くておどろいた。
でも、その時に思っちゃったんです。
「…そうか、こんな可愛い子が15才から20代のまるごと全部、この山間の閑静な街で埋もれて、しかもここまですり減っているのか」
100年続いてるヅカファンの皆様に対して失礼は承知です。宝塚の男役トップスターという称号は他の何物にも代えがたい、特別なものだということは理解している。彼女のオスカルさまに感動したのも事実。
でも、それが正直な印象でした。
10代からダイレクトにモデルや女優をめざして大成したかどうかはわからない(あの骨格だから、大手事務所にスカウトくらいは間違いなくされただろうけれど。都心の私立中学に通っていたみたいだし)。スタイルが良くてキレイな女の子ならではの“平凡な女の人生”に終始していたかもしれない。
でも、どちらにしても、実際にすぐ近くにいたヅカメイクではないちゃんとした化粧をして白いパンツスーツにルブタンっぽいヒールを履いていた彼女の横顔は、30代前半の独身女性としてあまりにも摩耗しきっていました。「疲弊している」じゃない。そんなもの、結婚や出産を経験することなく、多少の恋愛のいざこざを片手にひたすら働き続けてきたようなアラサー独身女子の多くは肉体的にも精神的にも疲労のピークに達しています。彼女の“すり減ってる感”はもっと、別の種類もの。恐らくは女優やモデルやキャンギャル崩れのチーママやノルマが超キビシい営業職や業界系キャリアガールや上司と不倫しちゃってる事務職の派遣社員やショップ店員やネイリストになっていたら、決してそんなことにならなくて済んだはずの、どっしりと重苦しくて暗いもの。



…私、やっぱりそこまで宝塚、好きじゃないのかな。ふと、そんな感情に気づいたりもした瞬間でした。だって、本気で宝塚至上主義のひとなら絶対、「トップの重圧に押しつぶされる程度の人材なら、とっとと劇団を去れ」くらい思うはずだものね。