願ってる、彼女の幸せだけを。

なんかクサいタイトルですみません。でも本当に、浅田真央に対する私の思いは、実はもうこの4年間ずっとこんな感じなんです。そしてそのテンションが最高潮に達したのがこの2日間だった。ショートプログラムが終わったあとの彼女の心情を勝手に想像するだけで眠れなくなり、いちおう日本のネットテレビの録画をセットだけはしておきながらナマで観ようかどうしようかは保留にしていたくらいでした。だって、もうあんなの見ちゃったら観ていられないじゃない、気分として。これは自分自身への反省ですが、地球の裏側から心だけ応援していればいいやと思い始めていたのが実は事実だったりします。


結局、私が勝手に“ヅカ部”と呼んでいる人たち(※ダンスの習い事のメンバーの中でも特に宝塚熱が高まっている、もしくは元々ヅカファン経験のある人を指す)による“『宝塚75周年記念公演・ベルサイユのばら〜フェルゼンとマリー・アントワネット編』を観る会”にそのまま出かけたところ、今日のメンツは何となく「真央ちゃんを観よう」という人ばかりでベルばらそっちのけでそちらを観ることになって本当によかった。ほら私、もともと「中日が優勝しそうな日の夜、会社帰りに中日ビルの1階ロビーにおいてある小さいテレビで中日を応援する」とか、この間のコンフェデでも自分が生観戦に行った時以外は日本代表の全試合+決勝戦すべて誰かのうちに勝手に集まったりとか、そういう大規模じゃないパブリックビューごっこが大好きだから、願ってもない機会。だって、誰かと分かち合いたいじゃない、行き場のない喜びも悲しみも悔しさも涙も(さらに、集まった家が某白物家電メーカーの駐在員のお宅だったので、最新鋭の大型薄型テレビ、もちろんハイビジョンチャンネルで観てしまったって…!)。


私よりずっとずっとフィギュアを観ることが好きでしょうがない人も、真央ちゃん大好きな人も幾らでもいるから、敢えて中身には触れません。でも、滅多に泣けない自分なのに、本当に涙がばんばん出た。「なんで昨日のショートプログラム、真央ちゃんの点だけあんなに悪いの?いくらなんでも絶対60点はあると思ったのに」とフィギュアのショートプログラムのルールをまったく知らないマダムも泣いていました。感動をありがとう。って、堂々ゴールドメダリストの羽生くんや、ほぼ同時間帯にちゃくちゃくとメダルを取っていたスノーボードの竹内選手やスキーハーフパイプの小野塚選手そっちのけのテンションで、しかも日本のメディアも皆同じような感じみたいで、なんだか申し訳ない感じなんですけど、でもまあ、いいよね。


私たちはもうこの10年以上もの間、夢中で「浅田真央物語」を観続けていた。それが、アメリカ映画のようなパーフェクトなハッピーエンドではなかったにしろ、むしろ日本人が好みそうなある一定の後味の良い余韻を残して終わろうとしている。このままスッパリ物語を終えるのも、あるいは(正直私はそれは望まないのだけれど)まさかの続編登場も、もちろん真央ちゃんの自由。少なくとも私は、どんな形であれ、彼女自身が納得のいく形での未来の幸せを願わずにはいられないのです。