おとめ、開封 〜ザ・古典を初体験編〜

moeringal2013-12-23

世界を股にかけた観劇の冬、アメリカでイタリアオペラを観て日本で南北戦争を題材とした宝塚歌劇を観る私。なんだかなあ。でも昔もロンドンでなぜか『シカゴ』を観たような…そしてロンドン初演の『マンマ・ミーア!』はブロードウェイで観たし…まあ人間、観たい時に演ってる場所で観ればいいと思っておこう。


そんなわけで宝塚歌劇団宙組公演・『風と共に去りぬ』を観てきました。小学校時代、ひそかにヅカ布教活動をねらっていた母に読まされた原作(つまり気に入って「こんな舞台もあるのよ」「見てみたーい」という展開を期待していた模様)、生徒はバリバリの受験校モードなのに教師陣はイマイチお嬢さん学校モードだった中学高校の先生にもファンが多くなぜかビデオを押し付けられて観た映画…と、20年以上前の記憶はわずかに残っている名作の舞台化で、宝塚としても“公演回数1216回、観客動員数272万人を誇る宝塚歌劇の代表作(パンフレット原文ママ)”だという。


感想としてはいやあ、すごい昭和臭だ!だって背景とかアトランタ駅の汽車とバトラー邸の階段を除けばタダの絵だし、戦火の中馬車で逃げて行くシーンも役者自らが腰を揺らせて馬車の揺れを表現するセルフっぷり。衣装もメイクも何となく、古い。テレビとかで宝塚特集が組まれるときに良く見かける限り、トップスターの凰稀かなめさんは文句なしに近頃の少女漫画から抜け出てきたようなイケメン(兼美女)のはずなのに、なぜか今回はすっごく昭和のハリウッドスターみたいな眉毛。いやあカッコいいよ?カッコいいけど、でも昭和のいい男。えーっと、宙組ってモダンなイメージで押してるってどこかで聞いた気がするんだけどなあ…そこまでクラーク・ゲーブらなければいけないのかしら…。そしてお芝居の最初と最後は、バトラーがスカーレットの元を“さよならは夕映えの中で”なる曲を歌いあげつつ去っていく場面になっているのだけれど、メインテーマ“君はマグノリアの花のごとく”とともに耳につく、大変昭和な感じの名曲である(そしていちいち曲名も昭和の大芝居臭がぷんぷんする)。

お芝居そのものは出演者一同ものすごい大熱演で、とりあえず寝るような事はありえない出来で愉しかったけれど、とにかく昭和臭が濃い。お腹いっぱい。っていうか軽い胸やけ…。同じ大作とは言え、今夏の『ロミオとジュリエット』とは異なり、リピートしたいかって言えば、私はもういいかな。



しかし濃い。クセになる。2度観たいとは思わないのだけれどしかし、「君を八つ裂きにすることだってできるんだ!」とか「およしよ…」とか時代がかったセリフを言ってみたくなったり、“君はマグノリアの花のごとく”の昭和なメロディ(作曲:都倉俊一)をつい口ずさんでみたくなったりする。…そう、何だかどちらかと言えば、会社員時代に受けて、そしてウケていたわざとらしいシミュレーション台本付きのAED講習を思い出す感じ…。
ちなみに伯母(60〜50年前ヅカオタだった)と話す機会があったのだけれど、「東京で『風と共に去りぬ』を観てきた」と伝えたところ「うっそーそんないいのやってるのー今ー」と騒いでいた。つまりはそういう作品なのだ、ということなのだろう。まあ、ちょっとサテンピカピカすぎるけれど特に南北戦争前の南部の女たちの衣装は華やかだし、クドさや古臭さも含めて自分がヅカ初体験する以前の“宝塚”のステレオタイプに近い。何よりスカーレットの2度目の結婚とかスカーレットとレットの娘が落馬で死ぬところとかそういう重要なはずだけれど刺激の強い場面はスッパリ省かれているぶんよりシンプルな男女のすれ違いラブストーリーとそこに横たわる南北戦争のみが描かれているので、ある意味お子様向けとも言える。とりあえず、「宝塚観たいなあ」という怖いもの見たさな欲は満たされるには違いないんだよね、まあそれがファン開拓につながるとは思えないけど…まあ人間好みがあるので、昭和臭が特濃すぎて倒れそうな舞台にすっかりハマってしまう女子もいるのかもしれないけど。「宝塚とは何か」を深く考えさせられる舞台ではあった。古典すぎて! 


でも、レット・バトラーって、“宝塚の定番”の中では一番難しいよなあ。だって、ズバリ“男装の麗人”である『ベルサイユのばら』のオスカル様や“ヴェローナの子どもたち”=性未分化のあやふやさがリアルになる『ロミオとジュリエット』、宝塚だからこそ“黄泉の帝王・トート閣下”という男性になっているけれど本来はもっと抽象的でも中性的でもいい“死(Der Tod)”という存在が物語の芯になる『エリザベート』とは違って、“タダのアメリカ人の男”なんだもん。クラーク・ゲーブルの無頼漢ぶりは子供心にも格好良かったしさ。強いて言えば“もとはチャールストンの貴族”設定に合う一人称“僕”で弱さと上品さを持つバトラーと(だから、娘の落馬エピソードを割愛しているにもかかわらずスカーレットについに愛想を尽かしてしまう場面に妙な説得力があったのと、そして最後に去っていく姿が本当に悲しい)、そしてアシュリー(劇中では『アシュレ』って昭和の翻訳な呼び方をしていた)をシンプルな王子様ルックスに仕立てていかにもすてきな感じにしているのが宝塚版の良さかなあ。だって、原作を読んでから映画を観たとき、「アシュリーってこんな禿げオヤジだったのか!」ってショックだったの、今でも憶えてるし。その点、宝塚の、特に第一幕でのアシュリーは、バトラーより背が高くて何となくタレ目なのもイイ感じの、なるほど確かにルックス的にはこちらのほうが好みの人も多いかもねというすてきなアシュリーでよかった。少なくとも戦争のあたりからはバトラーのほうが断然カッコいいのに、結婚もちゃんとしてるのに、それでもスカーレットはそのカッコよさにラスト間際まで気づかないんだな、バカだな…という感じ。





ところでその何度も繰り返されるメインテーマに始まり、ラインダンスの衣装も巨大なマグノリア型の帽子だったり…と、飛行機の中で観た『大停電の夜』に続き、またしても映画『マグノリア』を思い出してしまった私である。アメリカ南部の代表的な花らしいけれど、あの映画の舞台ってアトランタだったっけ? 確か西海岸だったような…と記憶の糸をたどりつつ、『マグノリア』をもう1回観る気にはならない。こちらは胸やけと言うわけではなく、単純に、もうカエルが降ってくる夢は見たくないよー。

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