アイデンティティの在処

オットの会社の敏腕女性課長・Eさんと念願のご飯会を実施。日系移民2世で日本語堪能、この国で東大に相当すると言われる大学を卒業しており、少々東北訛りがある以外はまったくネイティブスピードの会話で問題なく、仕事に関する意識も非常に高い彼女であるが、実は大学を卒業してから5年間、日本がすっかり気に入ってしまって、親に呼び戻されるまでの間「志賀高原でスキー場ホテルのフロントスタッフ」「京都の旅館で仲居」「愛知県の自動車部品工場でライン業務」をワンサイクルとして生計を立てていたことが発覚。うーん、愛知県に住んでいた頃、“本国で弁護士や歯医者の資格を持っている日系人が、なぜかラインで期間従業員として働いている”という噂を何度も聞いたけれど、本当だったんだなそれって…。


ところで日系移民の場合、当時の法律では5年日本でまじめに働いて納税していれば日本国籍が取れたらしい。彼女も迷ったのだが、30才を前にして親に呼び戻されたこともあり、「この国の国籍を捨てるのはちょっと…」とためらいを感じて結局帰化はしなかったのだそうだ。両親はもちろん兄弟とも日本語で会話して育ち、仕事への取り組み方なども南米のラテン気質など微塵も感じさせない彼女だけれど、アイデンティティ帰属意識はこちらの国にあるという事なのだろう。
バリバリの日系人家庭に生まれたにもかかわらず、親の都合で小学校時代を日本で過ごしたため、「いつか日本に“帰り”たいんだけど…」と言っている日系3世の子を知っているけれど、彼と彼女とではまたアイデンティティが違うという事なのだろう。そこには2世か3世か、という部分はあまり関係ないようだ。


そこで思い出したのは、国籍こそは間違いなく日本人であるにもかかわらず、実際感じているアイデンティティが良くわからない子どもたちだ。たとえば、ヅカヲタマダム・ミカリン(仮名)のお嬢様。海外育ちゆえの素直さか、母親と同じ宝塚スターに入れあげ、インターナショナルスクールにいる金髪男子には目もくれず、国際バカロレアの勉強の合間にご贔屓のDVDを観るのが心の支えであるという彼女であるが、「ご贔屓が退団するまでは東京の大学に通って、退団後は北米某都市に“帰る”」と断言しているのだとか。幼稚園〜小学校3年、小学校5年〜中学1年をそれぞれ西海岸、中学1年〜高校1年を東寄りの某都市、そして高校1年の途中からは南米のこの街に住み、数少ない日本在住時も次の駐在が決まっていたため横浜のアメリカンスクールに通っていて、今も年の離れた妹とは英語で会話しているという彼女にとっては、恐らく日本は「おばあちゃんに会い宝塚を観る場所」に過ぎず、帰属意識は思春期を過ごした国と街にあるのかもしれない。恐らくは母語も英語なんだろうなあ。
そして一方、日本生まれ・日本育ちの日本人だけれど、両親の教育方針からプレスクールやキンダーからすべてインターナショナルスクール、兄弟間はもちろんアメリカの大学を卒業している父親とも英語で会話して唯一そこまで英語堪能ではない母親とだけ日本語で会話している家庭も知っている。でも、さすがに子どもたちは日本にいようが南米にいようがあまり関係ないらしく、のびのびとストレスを感じずに生活しているようだ。彼らのアイデンティティがどこの国かは、不明。


母語帰属意識を含めたアイデンティティ。いろいろなものが絡みあっている子どもたち。帰国子女が多い大学において短期留学も含めた海外経験がまったくなく、「私は『純ジャパ』だから」と自嘲する日々を送っていた私であるが、いやいやそれはそれで、何もかもが『純粋ジャパニーズ』とハッキリしているだけ、別に悪くはないのかもしれない。逆に学生時代、どことなく垢抜けていて羨ましかった帰国生のあの子たちのアイデンティティは、ほんとうはどこにあったのだろう。

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夜までの流れは、朝:オットに水などかさばる物をクルマで買い出ししてもらう、昼:古くなりかけたレタスや小松菜を突っ込んだチャーハンを適当に作って昼食、夕方:レストランにちょうど近いという事でいつもの高級スーパーで乾物類を買い出し、という感じ。高級と言いつつ100%小麦のパンとか砂糖・添加物抜きのリンゴジュースとか、モノによっては安いんだよねえ、近所のスーパーよりも。