文学少女の記憶

そう言えば自分は文学少女だったな、と思い返すことが最近よくある。中学からはオタク化が進んでしまい残念ながら軽い物ばかり(いや、榊原姿保美なんかは、今にして思うと漢字も多いし物語は深刻だし決して軽くはなかった気もするけど、思春期の自分ときたら単なるエ●小説として楽しんでいた)読むようになってしまったけれど、小学生の頃の自分はまさに早熟な文学少女だった。今にして思えば「ヅカ布教」を企んでいたと思われる母に『風と共に去りぬ』を与えられたのも小学生の頃だった。しかし今にして思うと、娼館の親玉とか流産とか不倫とか、PG-12くらい入りそうなネタ満載だよなあ。


アガサ・クリスティはその中では「軽いもの」としてカウントしていたものだ。とりあえず全部読んだ。並行してファミコンにもハマっていた自分にとって、『アクロイド殺し』と『ポートピア連続殺人事件』は「意外な犯人」つながりで並列だ。ロンドン、イスタンブール、エジプト・アスワン…大人になってからあちこち旅行するたびに「アガサ・クリスティが泊まったホテル」を訪ね歩いたあたり(泊まり歩いてはいないのがミソ。高いのよ)、あんがい潜在的クリスティファンなのかもしれない。


いろいろ尻込みさせる場面もあったのだけれど、偶然の勢いで、往年の駐在妻のシュミの王道“ブリッジ”に手を出すことにしたのは、当時の敗北感からだ。クリスティのフェア-アンフェア論争関連の本も並行して楽しく読み(つくづくかわいくない小学生だ)、『そして誰もいなくなった』でも『アクロイド殺し』もキチンと消化できたけれど、どうしようもなく理解できなかったのが、もうタイトルも忘れてしまったけれど全編“ブリッジ”な話だった。キャストはポワロほかクリスティの小説に頻出するキャラクターが数多く出てくるスピンオフ的な豪華さ、トリックもクローズド物で面白かったにもかかわらず、そのルールだけが邪魔をしてイマイチよくわからない部分があったのだ。
ハマり過ぎると駐妻同士の人間関係を壊すこともあるという競技トランプ、“コントラクトブリッジ”。クリスティの小説を再読して理解できるようになるのがとりあえずの目標です…という気分でいたら、ブリッジ・フリークの奥様に怒られてしまった。いきなり挫折の予感タップリ。


人間関係はともかく、はじめて簡単なゲームにチャレンジした感覚そのものは悪くない。なにしろ、『ファイナルファンタジーⅧ』では、本編以上にサイドのカードゲームにハマっていたくちなのだ。プレイ中気づかなかった視野にふと気付かされてすさまじく呆然としたりするのが、カードゲーム全般の面白さだと思う。そして、サイドゲームの元祖・ドラクエのカジノとFF8のカードの決定的な違いは、ギャンブルではないところ。何しろ賭け事はキライなのだ。その点ブリッジは、複雑な点数計算があるうえに“ビッド”“オークション”という場面もあるものの、金銭は賭けないと少なくとも現時点では聞いているので楽しみにしている。…何だか、文学少女の記憶じゃなくてゲーマーの記憶になってしまったなあ。