医療ドラマに思う事

母、伯母、祖母。それぞれ身体が弱っています。そんな中、やっぱり価値観というものは変わってくるわけです。今クールのドラマを敢えて見ようとはしていない私ですが、まあ親がHDに録画してはあれこれ観てるのでちょいちょい横見はしてるのですが、その中で『37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜』なる、クサナギ君主演の医療ドラマのとあるシーンを見ていて、母がつぶやいた言葉が耳に引っかかりました。


「こーーーーーーーんな簡単に、死んじゃうなんてねえ」


教授(マツケン。もちろん総回診シーンが毎回のように出てくる)の高校時代の地学の先生である入院患者(竜雷太)が、「それでも、まだ私は死にたくないんだよ、死ぬのが怖い…」とか言ったりしてちょっと人間臭くてイイ人なところを見せた途端に激しく吐血して脈拍が0になってしまい、何やら薬を注入しても戻らない…というシーンでその回は終わりだったのですが、まさにその修羅場を見ながら、母は、無意識にそう言いました。


失礼を承知で敢えて記録に残すけれど、それは、とても羨ましそうでした。


数年前の日記には「しゃべれないけど脳みそはクリアー」と書いていたであろう祖母ですが、やはり、しゃべれない、ということは脳の活性化を妨げます。今ではすっかり、敢えて痴呆とかボケとかいう表現よりも、赤ちゃんに戻ってしまったと表現したい感じです。カタコトで感情表現はできる、ある程度の記憶はしっかりある、トイレも事前にちゃんと気づく、でも誰かの助けが絶対的に必要。それは、お年寄り、ではなく、どちらかと言えば友人の子供に似ています。


伯母は昨年に続く再手術を秋に控えています。母も、あるいは手術に近い検査が必要かもしれない状況です。確かにその吐血シーンは唐突でした。でも、その時の響きには、家財を投げ打って「自宅での老老介護」に近い状況を既に4年続けてきた(へたに同居していなかったので、ヘルパーさんを雇うなど、出費が多いのです)、それゆえの独特な響きがありました。そもそも母は、医療ドラマがキライでした。でも今は、殆どの医療ドラマを見ており、とりわけ重病系や緊急医療系ではなくこのドラマのように一般病棟を扱った話を好んでいます。


時間が経てば、価値観も、好みも変わります。かつてトレンディドラマというものが流行った時、私たち(もしくはもう少し上の世代の人たち)はカッコよくやりがいある仕事をして素敵なマンションに住むドラマの登場人物に憧れ、そしてそのブーム後は等身大の恋愛に一喜一憂しました。それと同じように、親世代は医療ドラマを見て等身大の病気や介護の問題に感情移入し、家族に手間やお金をかけることなく死ぬことに憧れているように見えるのです。あるいは、頼りない研修医が描かれるドラマを見て、どう考えても頼りがいのない大病院の若手ドクターにそれでもすがりつかざるを得ない自分を重ね合わせたりもしているかもしれない。そう、ハッキリしない態度の主演俳優にイライラしながら、自分に気があるようにもないようにも見える男子にイライラする自分自身を重ね合わせるように。


視聴率が低迷している、と言われる昨今のテレビドラマですが、医療ものに関しては、案外、シニア層が介護の合間にHDに録画したものを観てるのかもなあ、と思う今日この頃なのでした。