TIME FLIES…1994-2011

「やっぱり岡田やトルシエは来てるけどジーコは松田の通夜に来てへんで!」「いやジーコはもし行きたくても、リオにいるなら間に合わないから! 飛行機結構満席だし!」「自分(=関西弁で「お前」の意味)は俺の代わりに行かなくてええのん?」「いやチケットは名古屋着のFIXだし群馬遠いし!そもそも今から飛んでも間に合わないよ!」


…とおよそ死者を悼んでいるようにも思えないやり取りをオットとしてから、日本時間8月9日午前10時半、まさに日本の群馬県桐生市では松田直樹の告別式が行われようとする頃、ブラジルを出国。


やたらと機内エンターテイメントが充実した飛行機では、松田も好きだったと言われるoasisが活動休止後に出したベストをまるごと聴くことができたので、自分なりに喪に服するつもりで聴いた。Live Forever、Slide Away、Whatever、Wonderwall、Stand By Me、好きだったなあ。ちなみに私が1994年に生まれて初めて行った海外アーティストのライブはオアシスで、場所は名古屋パルコの上にあるクラブクアトロだったと思う。確か、松田直樹のことを高校サッカー注目選手として知ったのもちょうど同じ頃だった。オアシスのライブはその後2回行った、大学生の時に武道館へ、それから卒業してから友達ともう1回、確か代々木第一体育館。一方でマリノスの試合は当時はちょこちょこ地上波でやってたテレビで観るだけで、スタジアムには行っていない。だって吉祥寺から新横浜は遠かったし(いやしかしB'zの“Brotherfood”ツアーは観に行ってるから言い訳にはならないな)、周りにサッカー好きもあんましいなかったし、チケット取るのももっと大変なイメージがあったんだよ。


今まさに焼かれて灰になる人のことを、今はもうないバンドの曲で想う。NHKワールドプレミアムで観られたニュースからYoutubeで確認した各スポーツ番組の追悼特集まで、1994年ごろから今までの松田の映像が大量発掘されていて、そしてどれも、ずいぶんと古臭い映像に見えた。髪型も、ユニフォームのデザインも、映像のザラつきも。その多くをリアルタイムで観た記憶が、確かに、まだ鮮明に私の中に残っているのに。



なんだか、気付いたらずいぶん長く生きてきたんだなあ。
Don't look back in anger(ああこれはマリノスにとってはライバルな某自動車メーカー系クラブの歌だけど、ほら、歌詞が)を聴きながら、ひとりで少しだけ泣いた。隣が日本人じゃなくてよかった。



シンガポール到着後、友達の家にお邪魔してi-Padを使わせてもらっていたら、雑誌やネットマガジンが読めるアプリで松田の追悼特集を大量に読んだ形跡があった。「その人有名だったの? なんかダンナさん(注:そういえば横浜市青葉区出身のはず)が昨日ずっと、『喪に服す』とか言ってYoutubeばっかり見てて…」 海を越えた場所でひっそりと、自分なりに喪に服していたのは、どうやら私やオットだけではなかったらしい。

タイム・フライズ・・・1994-2009

タイム・フライズ・・・1994-2009