この24時間の記録

地震が起きた時は普通に銀座にある会社で仕事していました。揺れが長かったし、築40年超のビルの8階なのでかなり怖かった。むしろどんどん背筋が凍っていく感じ。今の会社はインフラに近い業種なので、揺れが始まってしばらくは普通にコールセンターは電話を受けていて、一時は机の下に入ったもののすぐに避難という話は出ませんでした。
第二波で、避難することになりました。当然エレベーターは止まっていたので、階段を8階ぶん降りて避難所その一の泰明小学校(クラシックなたたずまいの学校。公立小学校なのに制服がある)に向かうも、既に校庭がラッシュ時の首都圏の電車みたいにギュウギュウ詰だったので、避難所その二の日比谷公園へ。本来だだっぴろいそこも満員だったので、近くの帝国ホテルロビーへ。帝国ホテルは流石のホスピタリティ(ただし泊まる側としては迷惑かも)で、速やかに宴会場向けの椅子を用意したりしていました。そして、ロビーの床に座ってうちのシステムを遠隔監視している会社の人たちの冷静さにも頭が下がった。普段はタダの癒し系のオジサンなのになあ、凛々しく見えたよ。


その後は一旦会社に戻って、結局少し待機して私は会社を出ることにしました。会社の人がいつの間にやら入手していたバナナとか持たせてくれてありがたかった。でも、ビルにいても気持ち悪かったし、冷静に仕事を続ける子に対してビビり続けてる自分なんて邪魔なだけだと思ったし。ある同僚には「歩くの!?」と驚かれた。いや、歩けるとは思ってないけど。
とりあえず、JR東日本は既に今日中の運転復活はありえないという話だったので、本当はどこか安全そうなホテルで一泊したかった。電話が使えないから耐震がちゃんとしていそうな東京駅〜新橋駅間のホテルを1軒1軒歩いて回るも、しかし既にその時点で全部満室。ドタキャンもなしか…そんなわけで、何とか家に帰れるルートを探す方にシフトした私。


運行を続けているという都バスの中でも比較的便が出ているとtwitterで流れていた渋谷駅行きのバスの列へ向かって、並んでいる間に「新橋〜六本木ヒルズ間で45分以上、新橋〜渋谷間は2時間以上かかっている」と都バス職員がいった。何だそりゃ、道理でタクシーも全然来てないわけだ。殺気立ってくる中、駅前の寿司屋や居酒屋の兄ちゃんおっちゃんが「銀座線が通ったって!」と叫んで出てきた。本当か? ガセだったらこの列また並び直しじゃないか…と迷いつつ、行列仲間に別れを告げて地下鉄に向かってみると、驚くほどスムーズに電車が来て渋谷に行けた。

渋谷に着くと、何となく東急が動きそうな機運があったので、しばらく待つ。30〜40分待ったか、動きますというアナウンス。拍手。ところがその30分後、再び「復旧の目途が立っておりません」というアナウンスが出る。一部、文句の叫び声。でもその後は10分余りで改札が開いた。その頃にはなんだかもう疲れ果てていて、自分がいたのと逆サイドにある第一便まで走る気力はなかった。結局、近いホームから発車する第二便に乗りました。その時点で22時45分くらい。なんだかんだ、ありがとう東急。
地下にある最寄り駅のエレベーターやエスカレーターは当然止まっていて、たぶん5階分くらい階段を上って地上へ。マンションのエレベーターも当然、停止中。12階ぶん階段を上がってようやく帰り着いた家には、倒れているオットのゴルフバッグ、破壊されているオットのガンプラ、散乱するぬいぐるみと本、一見無事な冷蔵庫も中はぐちゃぐちゃ。でも、何とかその日のうちに帰れてよかった。


今も余震はあります。正直、気持ち悪いです。一回東京湾震源なんてのもあって死ぬほどびびった。震度3なんて数か月に1回はあった筈なのに、「いよいよこっちにも来たか…」と怯えてしまう。ああ、12階なんて住むんじゃなかった。


でも、もっともっと大変なことが起きています。悪趣味なトーンのテレビ番組で「最悪の事態」と仮想されていた事故が、すべて起きている。私はまだ運がいいほうなのかもしれない。縁起でもないけどもっとひどいことがこれから起きる可能性もゼロじゃない。でも、さっぱりケータイがつながらない中、自分の実家はもちろん、オットの実家やブラジルのオットからも電話をもらった。友達や、前の会社の人も連絡をくれた。それもありがたい。


…そんな感じです。とりあえず、元気です。しかし、日比谷公園で「地震なう」「避難なう」ってのんきな感じでツイートしている人を本当にたくさん見かけてしまってびっくりした。せめて「日比谷公園満員なう」くらい付加価値をつけようよ。もうちょっとあれこれ字数入れられるんだからさあ。