デッドストック2007 / 当世独身王子事情 (パート2)

この日記でも散々書いてきたが、私は就職氷河期世代である。就職氷河期世代というのはおおむね1970年代生まれ。団塊ジュニアで子供の数が多い中、そこそこ一流の大学を出てもろくでもない会社にしか就職できなかった、もしくはフリーターで食いつなぐしかないという者が続出した世代だそうだ。その弊害に関しては、やれ「フツーの幸せ(=専業主婦で十分優雅な暮らしができる男性と結婚する)がつかみにくい」だの何だのとこれまた散々書きまくった気がするので省略するが、ここに就職氷河期の煽りを変形した形で食らった人の話をしてみよう。1970年生まれのカツケン(仮名・37才独身・医師)である。
カツケンは代々医者の家系で育った。橋にも棒にもひっかかりそうにないバカだったわけではなく、とりあえず12才時点で近隣の私立ではトップと言われる男子校に合格してしまったのがそもそもの不運の始まりかもしれない。高2くらいの時点で特に勉強が好きでも得意でもないが級友にも医者の息子が多かったカツケンは、しかしながら無謀にも、当たり前のように医学部を目指す事となった。親は開業医のため経済的には問題のない身の上、とりあえず行き先が私立でも家が傾く事はないが、ただしそれでも合格には少々足りない成績であったらしい。加えてご両親は俗に言う『裏口入学』の類にはとんと興味のない潔癖な方々だった模様で、だから彼は比較的人気のある私立の医大だけを幾つか受験し、あっさりと浪人した。時に1989年、バブル絶頂期である。
当時CMをだだ流ししていた東京にある医歯薬系専門予備校の寮(妙にゴージャスなCMであったと記憶しているが、実際はおんぼろの寮だったとの事)に入寮し一年を過ごしたカツケンだが、しかしまたしても彼に桜が咲く事はなかった。厳しい(本人談)寮生活に耐えかね地元に出戻り、二浪生活開始時にカツケンの思った事が「去年は大変だった。よし、今年はのんびりしよう」だったというあたり、何かが絶対的に間違っているような気がするが、まあそれはまた別の話。
二浪の半ばにして、彼はあることに気付いた。「根性」というものに絶望的なまでに恵まれないまま、しかし緩やかなペースながら、一応ちゃくちゃくと偏差値は上がっていたカツケン。にもかかわらず! 医学部の合格判定は相変わらず冴えないものであった。
「なんか変だなあと思ってさあ、試しに有名な大学の理工学部とかを模試の志望校欄に書いてみると、ちゃんと上がってるんだよねえ、判定…」よく見ると医学部の志願者数が、現役時代とは比べものにならない程増えていたんだそうである。そう、団塊ジュニア世代が一気にこの辺りで流れ込んできて、いきおい医学部の志願者も増加したのだ。医大とか医学部というのはよくわからないが他の学部(例えば経済学部とか法学部とか。理工でもそうかも)に比べて容易に新設したり定員を増やしたりできない構造になっているらしく、つまり倍率も子供の増加に応じて急上昇、さらに水物っぽくなってしまったと言うのが妥当な考え方だろう。
さて2月。もっと真面目で頭のデキもいい団塊ジュニアの若者に、所詮最大限好意的に表現してもマイペースなのんびり屋に過ぎないカツケンがかなう訳もない。とは言え意外に頑固にも、マトモな判定の出た理工学部や当時はまだ人気薄だった薬学部の受験を薦めるご両親を無視した結果、ついにと言うかやはりと言うか彼は三浪する事になった。
この時点で1991年4月、株価は89年の時点の半値以下に下落。新卒学生の有効求人倍率はまだ堅調なものの、既にリクルーターが学生を銀座のクラブで豪遊させる時代は終わり、「バブル崩壊就職氷河期→資格取得ブーム」というその後の流れの根っこになる部分がちょうど出来上がる時期だった。資格ブームに乗って医学部の人気は今後さらに暴騰していく事が予想される4回目の受験も、恐らく困難を極めるのは必至だろう。ご両親の心配をよそに「まあ、やってればそのうち受かるだろう」と再び首都圏のもっと楽な感じの予備校に通う事にしたはいいが、年下の予備校仲間に誘われるがままオープンしたての『ジュリアナ東京』なんかにハマっちゃって、さあどうなるカツケン!!!
結論から言えばこのカツケン氏、そんな楽しい三浪生活の末、授業料がラグジュアリーで偏差値はお手頃という共通点を持つ私立の医大3校の合格を何とか手にし、その後は特に留年も国家試験浪人もなく順調にドクター・カツケンとなって現在に至るようだが、それでもしばしば当時を振り返りたくなるようだ。未だに受験時代を振り返る37才って…しかもその時の顔が異常なまでに活き活きしてるって…。
しかしよく考えたら4年間も受験生だったわけだから、私たちが大学4年間を思い出すようにしばしば思い出すのも無理ないのかもしれない。そして、いっこうに上がらない給与明細を手に「実は普通の大学に1浪くらいで行って普通のサラリーマンになった方がよかったんじゃないだろうか」とか「あと1年早く生まれてて、出身校までランク落として受験してればあと3年は早く医者になれたんじゃないか」とか訳のわからぬ逡巡をするカツケン(お父様が急逝されたので実家は廃業。「跡を継ぐ」という大目標を失ってしまった彼は、今やその高額な授業料の元を取れるかどうかもわからぬ公立病院の勤務医として日銭を稼いでいくしかなくなってしまったようだ。ちなみに現在住んでいる名古屋中心部の1DKの家賃は管理費込み8万5千円との事、決して贅沢はしていない)。いやあ、でも君の選んだ道はベストじゃないかもしれないけどかなり上等なベターだと思うよ、カツケン。だってカツケンの代って、1年でも浪人したらいきなり有効求人数1.00以下にガタ落ちで就職氷河期突入だったんだもん。ぎりぎりバブル入社組に引っかかっても今頃はシビアな競争に追い込まれがちだし、カツケンみたいなのんびり屋っていうかぶっちゃけ怠け者がリーマンだったら、きっと今頃大変な事になってたんじゃないかなあ…。逆に、のんびりキャラは職業柄接することが多そうなお年寄りや子供に好かれてるかも知れないし、ね。
++++++++++++
同じく春頃。独身王子シリーズは仕事の息抜き代わりにあれこれ書いていました。中古のアウディA6 S-lineに乗って一見優雅な独身貴族ドクターを気取る彼にも、彼なりの逡巡はある模様。ちなみに趣味はインテリアショップ巡り。「コンランショップよりもフランフランの方がお手頃で好き。でも一番よく買うのはディノス(通販)とニトリ」、との事です。