** YEARS AFTER

大学の教授の古稀を祝う会、15時〜内幸町の日本プレスセンタービルにて。2年半前に定年し、今はメディア関連の各機関でご意見番的名誉職をあれこれと兼任しつつ私たちの母校と某大学の某学科(私が玉砕したとこだ)で客員教授として教鞭も取っているという教授は相変わらずダンディでものわかりのよい、理想像を常に抱いている熱血先生のままだった。久々に50代後半まで通信社のNY支局長を勤めていた彼のジャーナリズム理想論を聞き、学生時代に戻ったような錯覚を覚える。
会は盛況で、卒業以来初めて会うかつてのゼミ同期が8割方勢揃いしていたばかりか、前後数年の先輩後輩の顔も揃っていた。ついさっきまで名前すら忘れていた先輩なのに、いざ話しはじめたら色々な思い出が出るわ出るわ…不真面目ゼミ生だったという記憶しかなかったけど、何気に教授やゼミ仲間と合宿やら有志の温泉旅行やらだけはマメに参加していたんだなあ、私。韓国も那須も軽井沢も富士急ハイランドも教授交えて行ってたわ。
同期メンバーも、男子は揃ってすっかりおっさん臭くなってたし(いや実はもともと決して若々しくはなかったけど)、女の子も結婚してる子あり、体壊して放送局辞めてた子あり…と様々だった。しかし男の子はうちのゼミ以外の同期情報も合わせてもはや結婚してない子が殆どいないんだなあ。しかも大半が姉さん女房って。逆に女子は独身がマジョリティだったけど、世の中そんなものなんでしょうか。ああそうだ、ゼミOB何人かの週刊誌記者仲間として何故だか教授の息子さん(32)までゲスト参加してたんだけど、これが久々の私的直球ど真ん中で衝撃でした。しかし残念ながらこれまた3ヶ月前に入籍済との事。ああ残念だ彼なら酔いつぶれてワンナイトスタンドもやぶさかじゃなかったのにっ(ヲイ)
二次会は、昔大学の側の飲み屋からそのまま新宿まで歩き通してたのと同じようなテンションで歩いて汐留へ。ゼミ生は先輩・後輩含め大半がメディア関係者で、何やらものすごく面白かった。ここで教授にかつてのお礼をようやく言える。そこで初めて話してくださったのは、教授は中学生の頃、大学4年の頃の私と同じような目に遭った事があるという事。そうか、だからあんなにアッサリと返却不要奨学金のサインをくれたのか…。劣等生だったけど、やっぱりこの先生の下についていてよかったな、と改めて思う。どうもありがとうございます。
そうそう。今の仕事は?と教授を始め色々な人に聞かれた時、驚くほど胸を張って言えた。「自動車部門の工場で、海外の新工場立上げを支援しています。作業用の帽子被ってブルゾンに安全靴で走り回ってるんですよ?」当初配属された広報の方が彼らにとって身近でカッコいいであろう事はわかっているけど、でも平気だ。「でも、製造業にとっての生産管理は、現場だから一番大変で面白いんですよ。マスコミで言う記者に相当するのかも。正直、今の部門に移って初めて、『製造業っていいな』って思えるようになったんです」…卒業後*年、畑違いだった製造業に入ってようやくたどり着いた境地、かも知れない。思えば随分遠くへ来たものだ。
酔っ払いながら最終の新幹線で帰宅。なんか今回はたった26時間の滞在だったけど、近くて遠い世界に触れちゃってすごい面白かったなあ。多摩川越える辺りから徐々に意識がなくなって、目が覚めたらもう三河安城を過ぎていた。



【和食 えん 汐留店】 汐留シティセンターの最上階。向かい側の電通のビルは多少うざいけど、レインボーブリッジやお台場もちゃんとバッチリ見える。店構えも高級感がありまくりなのにお値段は普通の居酒屋レートの範疇、それでいて味はなかなかのもの。東京って高層ビルが多いからこういうお手頃な景色のいいお店がいっぱいあるんだろうなあ。いいなあ。店員が少なくて捕まえるのが大変だけど、まあそれもご愛嬌という事で。
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