P・R・E・S・E・N・T

最近、『おごられる女』というキーワードが一つのブームになっている、ような気がする。最近のSPA!AERAでも特集されていたし。こないだまで全盛を誇った(いや今後も続くのかも知れないけど)『仕事バリバリしつつ理想のパートナーと結婚してこそ真のハッピーなキャリアウーマン!!!』に続く雑誌全般の裏テーマなのか。何なんだ。
私は『異性からのプレゼントに縁のない女』である。いやホント。今までで男性からもらったプレゼントの最高額と言われても、たぶんブランド物の財布とホワイトゴールドペンダントのどっちかだろうなーと思われる。どっちもせいぜい5万するかしないか程度。だから、クリスマスに屑ダイヤ入りのカルティエのラブリングもらったとかティファニーの時計とロレックスの時計を贈りあったとかいう話を聞くと、正直びびる。とりあえず、大学入って最初に付き合った男がドビンボーだったせいか何なのか、トコトン縁がない。
縁がないというより自ら遠ざけている、という説もある。よく考えれば、もらったりおごられたりする機会がないわけじゃないのだ。学生の頃、何か欲しいものはある?と聞かれる度に、ねだっていたのはぬいぐるみだった。キティちゃんとかミッフィーの、大きすぎない3,000円台のぬいぐるみ。自分でも買えるけどいざ買うとなると何となくもったいない、負担はかけない、借りは作らない、別れた後にそれを見てもその送り主じゃなくてただ「可愛い」印象だけが残るものたち。社会人になってからは、それが食べ物に変わった。どんなに美味しい肉でもワインでも飲み食いしちゃえば終わり、ただ「美味しかった」印象だけを思い出にしていった。さらに刹那的だ。ごくたまに何かモノをもらわざるを得ない機会も、できるだけ必ず自分で選んだ。それもハンカチとか扇子とか、取るに足らない、日常に埋もれていく小物ばかりを。…そうだ、私はいつだって彼らとの『別れ』を予感していたんだ。別れには必ず嫌な感情がつきまとう。自己嫌悪か、相手への嫌悪か、悲しさか、憎しみか、切なさか。そんな事、思い出したくない。
それでも、突然のプレゼントには抗えない。今までもらってしまった中で、最も切ないプレゼントは、ガラス細工のちいさな地球儀と、ミキモトの屑真珠がくっついた銀のブックマークだった。ミキモトの包装紙に対して、「こんなのもらっても困る!!!」と私は露骨に嫌悪した。その時の彼の、『だって君と言えば旅と本でしょう??』と微笑みながらひどく傷ついていた表情は、今でも鮮明に覚えている。彼とはそれっきりまともに話していない。
ブックマークはそれきり箱から出す事のないまま奥深くにしまってある。地球儀はなぜだか目に付くところにずっと置いている。見るたびに悲しくなるし、自分が嫌にもなるんだけれど、奇妙に温かい、不思議な感情が私を襲う。
私にも、心からの笑顔でプレゼントをもらう日がいつか来るのかなあ。ただ、ちゃんと長年付き合ってる彼氏がいる女友達が、「貰うより自分で買ったほうがいいよね。楽でさ」と冷めた表情で言っていたから、案外そんなものなのかもしれないけど。