missing

前の部署でほんの1ヶ月だけ上司だったNさんは、エリートチックな人だった。頭が切れて笑顔は根っから陽気、でも時々眼が微妙に笑いきってなくて、体面を気にするところや自分の非を認めたがらないところも。 転職組がやたら多い上、正社員として所属する会社名が違えば、そもそも入社以来全然違う畑で仕事をしていた人も多い、バラバラでカオス極まりなかった部署において、筋さえ通せば違う価値観もそれなりにきちんと認めてくれる彼は、私にとって嫌いな仕事仲間ではなかった。
ニューヨーク帰りのバンカー(そうかそれであの雰囲気になったのか)、という触れ込みで入社してきたNさんの出身は、M銀行。当時三社統合でATMシステムが思いっきり派手にぶっ壊れたあそこの、都銀だった銀行の出身だと言う。NY支店勤務期間は7年。当時、2003年。Nさん、年齢は詳しく知らないけど40前。…待てよ。
単純でデリカシーのない人間の多くが想像する通り、2001年9月時点、彼は富士銀行NY支店に勤務していた。
1機目が隣のビルに突っ込んだ時、岩盤でできたマンハッタンではありえない地震のような揺れに違和感を感じて、地下のコーヒーショップへ同僚数名を誘って行き、そのまま避難したのだという。もちろん無傷、移動もエレベーターでスンナリ。ちなみに揺れは震度4〜5弱のイメージで、それなりにそれなりだったらしい。
『うん、僕の隣に座ってた上司とか、後輩とか、missingしちゃった人は周りにたくさんいて』
Nさんはそう言っていた。ミッシング。消失。何気なく避難して何気なく助かってしまった彼の言葉は、不思議に現実感がなくて、それでも重かった。そんなものなんだろう。そもそもあの事件自体、何だかハリウッドが予算をかけまくって作ったパニック映画みたいだった。ペンタゴンペンシルバニア?NY?なんでそんなベタな所だけ、よりによって。私自身、風呂上りにTVに映し出されていた「真っ青に晴れた空の真っ白な高層ビルに突っ込む飛行機の映像」を、本気で父親がCG多用系B級アクション大作映画をレンタルしてきたと思い込んだのを、今でも憶えている。
今日もどこかの民放が作った9.11の特番が点けっ放しのTVから流れてきて、ローカル採用扱いと思われる当時の富士銀NY支店勤務の女性たちの、「英語好きで海外かぶれのお嬢さん」臭が抜けないトーンが却ってリアルで悲惨で声も出なくなるような証言に比べて、Nさんの言葉は表面上、はるかにそれらしくなくてカッコ良くない。でも実際に聞いた時は同じくらい重くて、運とか運命とかそういうものを強烈に考えさせられざるを得ないことに関してはそれ以上だった。そうか、そんなものかと。
Nさんの名前は、知らない間に社員検索システムから消えていた。聞けば最近、再び転職して退社したという。次の会社は外資系金融。まあ、景気が上向いてしまえばベタな日本の製造業などまるっきり魅力なしという事だろう。いかにも「ニューヨークのバンカー」らしい行動ではある。
元気なのかなあ。どうかお元気で。『でもあの事件で、アメリカが好きになったんです。“強いアメリカ”という連帯感を強烈に感じられて』と言っていた奥様も含めて。