pink

という漫画があります。単行本は1989年初版発行。岡崎京子の知る人ぞ知る傑作のひとつだと思うんですが(ただし、決して非メジャーではないと思う。吉本ばななが全盛期に出したエッセイ「パイナツプリン」で絶賛してたりするし)、そこにこんな一節があります。
『シアワセを恐れるものはシアワセになれない』 そして、あとがきで作者の岡崎京子はそれに対してこう言っています。
『でも私は「幸福」を恐れません。だって私は根っからの東京ガール、ですもん』
「pink」のラストシーンは、その一節をふと頭に浮かべた男の子が交通事故に遭い(そして限りなく「死んだ」と思わせる描かれ方をしている)、女の子は何も知らずにうきうきと男の子を待つ、というもの。そしてそれに反論する当の作者・岡崎京子自身ですが、1996年、飲酒運転の4WDにはねられるという同じく交通事故に遭っており、その後は作家活動を停止。10年経った2006年の今も「描く事、喋る事ができず、療養中」と言われています。非常に不謹慎だと自覚していながら敢えて言いますが、何やら不思議な符合としか言いようがないと思うのは私だけでしょうか。そのせいかどうかわかりませんが、そのフレーズは、その後も長く私の頭の片隅に残っています。

私は東京ガールではありません(東京にいた頃はまるっきり東京ガールの顔をしていたけど)。だからというわけではありませんが、どうやらシアワセを恐れる人間なようです。逆に自分がものすごくシアワセだと感じられる時、それがふと不安になります。それを何となく思いついただけで忘れてしまえればいいのでしょうが、自分はその中でも性質が悪いらしい。不安の理由を突き詰めて考えてしまうのです。挙句、心身ともにおかしくなる。最終的に我慢できなくなって、でも自動車に轢かれたいわけではないから、自分みずからシアワセな状況に爆弾を落とす。破壊する。シアワセを破壊してしまった後は当然それまでに比べてシアワセではなくなっているんだけど、何故だか不思議な安堵感と安心感だけは手に入る。 

…何だかなあ。でもそれは性分としか言いようがないんだろうなあ。難しいですね。